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2008年01月30日

そのキャラクターとは裏腹に

かなり活躍した選手です!

ドゥエイン・ホージー(Dwayne Samuel Hosey , 1967年3月11日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルバニア州出身のプロ野球選手(外野手)。1997年から1998年にはヤクルトスワローズに在籍した。スイッチヒッター。大変明るい性格で、チームのムードメーカーとしても貢献し、日本での愛称は太郎。

1987年にドラフト13位でシカゴ・ホワイトソックスに入団。1995年にボストン・レッドソックスへ移籍、その年にメジャー昇格。1996年にテキサス・レンジャーズへ移籍。1997年にヤクルトスワローズへ入団した。来日当初は野村克也監督などから「ただ明るいだけの選手」と酷評される。当時日本ハムファイターズに在籍していた落合博満には「こんな史上最低の助っ人見たことない」とも言われた。

しかし野村監督のID野球を吸収しようという積極的な姿勢から、ミーティングに参加して相手投手の球種や癖を書き込んだノートを常に持ち歩くなど研究を怠らなかった。その研究熱心さの成果が実り、日本野球に定着。野村監督の酷評のおかげで他球団からはそれほど研究をされなかったせいか開幕から打ち続け、大活躍をする。シーズン終盤まで当時読売ジャイアンツに所属していた松井秀喜と本塁打王を争い、最終的に38本を放って見事にタイトルを獲得。同時に、その年のヤクルトの日本一にも貢献。翌年は相手球団の徹底マークに遭い、前年の大活躍がまるでウソのように13本塁打に終わった。そのためこれが彼本来の実力ではないかという意見をする評論家もいる。結局その年限りでヤクルトを退団した。

1997年は横浜ベイスターズとの優勝争いが佳境に入りつつある9月中旬の読売ジャイアンツとの3連戦初戦で、36本で本塁打数トップの松井秀喜に一本差と迫る35号を打ったあとの2打席で実質的に敬遠された。また、翌日も無走者あるいは9回ツーアウト一二塁の状況などを含めて5打席で3四球4得点で本塁打はなかったものの12-0の圧勝に大きく貢献した。第三戦では勝負してきたバルビーノ・ガルベスからトップに並ぶ36号を打ち、チームの3連勝に貢献した。巨人はこの直前に2位横浜には3連勝しており、さらに直後にも勝利しているので、合計横浜に4連勝・ヤクルトに3連敗したことで9日間でヤクルトのマジックを7つ減らすことになった。これに対して、球界を無視した利己的なプレーであると批判が起こった。結果的にホージーが1本差で逆転して迎えたシーズン最終戦では両チームとも敬遠はなく、本塁打も出なかった。
(以上、ウィキペディアより引用)

今はどこで何をしてるんでしょうね?

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